東京地方裁判所 平成11年(ワ)25355号 判決
原告 ダイヤモンド企業株式会社
右代表者代表取締役 高橋征文
原告 高橋征文
右二名訴訟代理人弁護士 春木英成
同 井上謙介
同 廣瀬真利子
同 皆川潤
右二名訴訟復代理人弁護士 舟串信寛
被告 高橋美和子
被告 高橋禮子
右二名訴訟代理人弁護士 宮下啓子
同 宮下明弘
主文
一 別紙1の物件目録記載一の土地と同目録記載三の土地との境界が別紙2の現況実測図記載のイ点とロ点とを結ぶ直線であることを確定する。
二 別紙1の物件目録記載二の土地と同目録記載三の土地との境界が別紙2の現況実測図記載のロ点とハ点とを結ぶ直線であることを確定する。
三 訴訟費用は被告らの負担とする。
事実及び理由
第一原告の求めた裁判
主文と同旨
第二事案の概要
本件は、別紙1の物件目録記載一の土地(以下「二二番二二の土地」という。以下、関係する土地の所在はすべて千代田区三番町であるから、他の土地の表示も同様に地番のみで行う。)、同目録記載二の土地(二二番二六の土地)をそれぞれ所有する原告らが、これに隣接する同目録記載三の土地(二二番二八の土地)を共有する被告らに対し、二二番二二及び二二番二六の各土地と二二番二八の土地との境界の確定を求めた事案である。
一 基礎となる事実
1 二二番二二の土地は原告ダイヤモンド企業株式会社(以下「原告会社」という。)が所有し、二二番二六の土地は原告高橋征文が所有している(甲一、二)。
2 二二番二八の土地は、被告らが共有している(争いがない。)。
3 二二番二二の土地及び二二番二六の土地と二二番二八の土地とは隣接している(争いがない。)。
4 昭和六二年以前の公図は別紙3のとおりであり、現在の公図は別紙4のとおりである(甲一三、一四、弁論の全趣旨)。右各土地の公図上の位置関係は別紙4の公図のとおりである。
二 争点
本件訴訟の争点は、原告会社所有の二二番二二の土地と被告ら所有の二二番二八の土地との境界(以下「本件境界一」という。)及び原告高橋所有の二二番二六の土地と右二二番二八の土地との境界(以下「本件境界二」という。)がどこに確定されるべきか、という点にある。
三 争点に関する当事者双方の主張
1 原告らの主張
(一) 本件境界一は別紙2の現況実測図(以下「別紙図面」という。)のイ点とロ点とを結ぶ直線(以下「イロ線」という。他の直線についても同様の方法で略称する。)であり、本件境界二は同図面のロハ線である。
(二) 公図における旧二二番二二(旧二二番二三及び旧二二番二七の各土地が合筆される前の二二番二二の土地)、旧二二番二七、旧二二番二三、旧二二番二四(右の三筆の土地は、二二番二二の土地に合筆される前の各土地である。)、二二番二一、二二番二六、二二番二八の各土地の形状は、現況と一致している。昭和六二年一〇月八日土地家屋調査士松尾行雄作製の参考図(簡易測量図)におけるこれらの各土地の形状も、公図及び現況と一致する。
また、本件訴訟において証拠として表れた図面を対照しても、これらの図面の表示は現況の境界の位置に一致し、昭和六二年一〇月以降現在まで境界が変動した事実はない。
(三) 平成九年五月一二日から同年七月二二日にかけて、原告ら所有土地上の建物解体工事が行われた(旧二二番二三、二七の土地上には建物は存在しておらず、実際に解体工事が行われたのは木造建物二棟及び鉄骨造りのビル一棟である。)。この際、別紙図面のイ、ロ、ハ、ニ点において境界標が存在していることが確認されている(甲一八)。その他には、境界標となるべき物は発見されていない。
2 被告らの主張
(一) 被告らの亡父高橋義臣が二二番二八の土地上に建物を建築したころ、二二番二八の土地の北側の土地には、既に四軒の木造建物が建っていたが、これらの建物と高橋義臣所有建物との間には、幅約一メートルの通路が設けられていた。この通路は、高橋義臣所有の二二番二八の土地の一部であった。しかし、その後旧二二番二四の土地上の木造建物を取り壊して四階建てのビル(島ビル)を建てる時に、右通路は被告らの了承なく狭められてしまった。
(二) 二二番二六の土地は三田高三郎が所有していたところ、三田は、二二番二八の土地との境界確定が済んでいないのに、勝手にトタン塀を造った。同トタン塀の北端土中に、木製の境界標が埋められており、三田側は同境界標が本件境界二であると主張していた。右木製の境界標のあった位置は、別紙図面のロ点ではない。
(三) 平成九年ころ、被告ら所有建物の北側の三軒の木造建物及び旧二二番二四の土地上のビルが取り壊された。その取壊しの際に、取り壊した建物の土中から境界標に使用される鋲とおぼしきものが発見された。その場所は、二二番二八の土地の北側に設けられていた通路の突当り付近であり、鋲のあった位置が二二番二八の土地の北東の境界点であると思われる。
第三当裁判所の判断
一 証拠(甲一から二六、乙一、証人吉田朝次郎)と弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。 1 原告高橋征文の父高橋賢介は、昭和六二年一〇月二日、二二番二一及び二二番二六の各土地を三田雅子らから買い受けた。そして、これを受けて、周囲の土地所有者との間で境界確認の手続及び土地の測量が行われた。二二番二一の土地の西側に隣接する旧二二番二二の土地(所有者小幡節子)との間でも境界確認が行われたが、現地には、ロ点のコンクリート杭のほかに、その東側〇・七一メートルのニ点にもコンクリート杭が埋設されており、双方の所有者の間で、ニ点が二二番二一の土地と旧二二番二二の土地との境界線の南端の点であり、ロニ線が二二番二六の土地と旧二二番二二の土地との境界線であることが確認された。この両者の境界確認を前提にすると、ロ点が被告ら所有の二二番二八の土地の北東角の地点ということになる。また、二二番二一の土地の北側の公道との境界も、東京都との間で境界の確認が行われた。この手続の中で、高橋賢介は、二二番二六の土地の西側に隣接する二二番二八の土地の所有者であった被告高橋美和子及び高橋睦に対し境界確認を求めたが(両土地の公図上の位置関係は、別紙2、3のとおりである。)、同被告らはこれを拒否し、同被告らとの間で境界確認をすることはできなかった。
二二番二六及び二二番二八の各土地とその南側の二二番二〇の土地との境には、コンクリートブロック塀が設置され、ハ点には、コンクリート杭がブロック塀の下に埋め込まれるような状況で設置されていた。右杭の上面にはプラスの線が切られ、その交点(中心点)がブロック塀の北端線に一致していた。そして、ロハ線よりもやや東側に、ロハ線に添って三田雅子らが所有するトタン塀が設置されていた。
また、旧二二番二二の土地上には建物があり、ロ点、ニ点の各杭は、右建物と被告ら所有の二二番二八の土地上の建物との中間付近に設置されていた。
この際の測量においては、二二番二六の土地の南側に隣接する二二番二〇の土地所有者との間では、ハ点が二二番二六の土地の南西角の地点であることは争いがなかった。
被告高橋美和子らを除くその他の隣接地所有者との間で確認された境界に基づく現況実測図が甲一九である。二二番二一の土地の登記簿上の地積は三九・三〇平方メートル、二二番二六の土地の登記簿上の地積は三三・〇五平方メートル、両者の合計地積は七二・三五平方メートルであり、甲一九の現況実測図による両土地の実測面積は七二・五五平方メートルであるから、登記簿上の地積と実測面積にはほとんど違いがない。
2 原告会社は、昭和六三年二月一二日に旧二二番二三、旧二二番二七の各土地の所有権を共和ビルディング株式会社から売買で取得し、昭和六三年七月六日に旧二二番二二の土地の所有権を小幡節子から売買で取得し、平成二年一一月二〇日に旧二二番二四の土地の所有権を大島精一から売買で取得した。
原告会社は、平成元年一月三一日に旧二二番二三、旧二二番二七の各土地を旧二二番二二の土地に合筆し、次いで平成三年二月四日に旧二二番二四の土地を、その時点の二二番二二の土地に合筆し、その結果今日の二二番二二の土地が形成された(別紙3参照)。したがって、現在の二二番二二の土地は、旧二二番二二、旧二二番二七、旧二二番二三、旧二二番二四の各土地が合筆されたものということになる。
3 ところで、旧二二番二三及び旧二二番二七の土地の前所有者は共和ビルディング株式会社であり、同会社がその前所有者(山忠建設株式会社)から右各土地を買い受けるに当たり(登記簿上の買受年月日は昭和六一年五月二八日。)、昭和六〇年一一月二日に、旧二二番二三及び旧二二番二七の各土地の測量が行われ、測量図(甲二三)が作製された。その際、旧二二番二七の土地の東側隣接地である旧二二番二二の土地所有者との間、旧二二番二三の土地の西側隣接地である旧二二番二四の土地所有者との間及び北側の道路所有者(ないし管理者)との間では、それぞれ境界確認が行われ、甲二三の測量図はこの境界確認に基づくものである。
右測量の際には、関係者の間で旧二二番二七の土地の南東角とされた地点(以下「ホ点」という。)、同様に旧二二番二三の土地の南西角とされた地点(以下「ヘ点」という。)にそれぞれ御影石の境界標が埋設されており、これらはいずれも別紙図面のイロ線上に存在しており(なお、昭和六三年二月一二日付け右両土地の売買契約書添付の図面(甲一〇)は、昭和六〇年一一月二日測量の甲二三の測量図を転写したものとされているところ、甲一〇の図面上は旧二二番二三の土地の南西角の境界標は金属標とされている。その位置は、両図面の表示からみて同一であると認められるが、御影石が金属標に変わった経緯は明らかではない。)、右ホ点及びヘ点が、それぞれの隣接地との境界の南端の点であることは関係者の間で争いがなかった。そして、ホ点とヘ点とを結ぶ線上を南端線として、旧二二番二三及び旧二二番二七の土地上に右各土地所有者の所有するコンクリートブロック塀が設置されていた。しかし、この際も、二二番二八の所有者である被告ら側とは境界確認をすることができなかった。
旧二二番二三の登記簿上の地積は三六・五六平方メートル、旧二二番二七の土地の登記簿上の地積は一・七五平方メートル、両者の合計は三八・三一平方メートルであるが、甲二三の実測図による右両土地の実測面積は三九・二一平方メートルで、両者はほぼ符合する。
4 また、平成二年一二月には、旧二二番二四の土地が測量され、実測図(甲二四)が作製された。右測量の際には、同土地の南西角付近の縁石上に赤色の刻印がされ、そのすぐ東側に、上面に東西方向の直線が刻まれたコンクリート杭が埋設されていた。また、同土地の北西角地点にはプレートが、北東角地点には鋲が設置されていたが、これらの鋲、プレート及び赤色の刻印は、いずれも隣接する道路との間でされた境界確認に基づくものである。同土地の南西角の赤色の刻印もその近くのコンクリート杭も現存し、赤色の刻印の地点が別紙図面のイ点である。しかし、この際も、被告らとの間で境界確認をすることはできなかった。
したがって、旧二二番二四の土地については、被告ら所有の二二番二八との境界を除いた三辺については境界確認がされたことになるが、これを前提とし、かつ、イヘ線を同土地の南側境界とした実測によれば、旧二二番二四の土地の実測面積は三六・五六平方メートルとなる。登記簿上の地積は三六・五六平方メートルであるから、両者は完全に符合する。
旧二二番二四の土地上には四階建てのビルが建築されており、赤色の刻印及びその付近のコンクリート杭は、右ビルと被告ら所有の二二番二八の土地上の建物とのほぼ中間にあった。
5 二二番二八の土地の西側道路の状況や二二番二〇の土地の使用占有状況、両土地の間に存するブロック塀の位置等からおおむね二二番二八、二二番二〇及び西側道路の三土地の境界点と推認される地点(甲二〇の<刻>地点)と、別紙図面のイ、ロ、ハの各点とを前提に二二番二八の土地の面積を簡易に求めてみると七八・五六平方メートルとなり、登記簿上の地積は七七・五二平方メートルであるから、実測面積が登記簿上の地積を若干上回る程度で、両者の数値はおおむね符合する。
6 原告高橋は、平成四年九月六日に、二二番二一及び二二番二六の土地の所有権を相続により取得した。
7 被告高橋美和子は、昭和五七年六月三日に二二番二八の土地の持分一〇分の七を相続により取得し、被告高橋禮子は、平成二年六月二五日に二二番二八の土地の持分一〇分の三を相続により取得した。
二 そこで右認定の事実に基づいて、本件境界一、二の位置について検討する。
1 前記認定の事実によれば、現在原告らの所有である二二番二一(前所有者三田雅子ら)、二二番二六(前所有者三田雅子ら)、旧二二番二二(前所有者小幡節子)、旧二二番二七(前所有者共和ビルディング)、旧二二番二三(前所有者共和ビルディング)、旧二二番二四(前所有者大島精一)の各土地や被告らの所有の二二番二八の土地は、かつては二二番という一区画の土地であったものが、順次分筆され、それぞれ異なる所有者に帰属し、同所有者らによって使用占有されてきたものと認められる。
土地相互の境界は、本来物理的には連続して存在する土地を土地所有の対象とするために人為的に区画する際に形成されるものであり、このようにして形成された各地番区域たる各土地は、その際形成された土地境界を境にしてそれぞれ使用占有されていくのが通常である。この意味で、土地相互の境界は、隣接する各土地の所有者間の共通認識によって維持されるものということができる。したがって、一定の線を境に各土地が別異の所有者によって平穏に使用占有されている場合には、特段の事情のない限り、その線が各土地(地番区域)の境界であると合理的に推認することができる。特に本件の場合には、関係する土地はすべて東京都の中心部の一等地にあり、極めて価値の高いものであるから、このような土地における平穏な使用占有の境は、より強く境界の位置を指し示しているものということができる。
更に、土地を分筆する際には、境界を明示するために境界標として杭が設置されることが多く、そのような境界標と目される杭を前提に双方の土地の使用占有が行われている場合には、当然のことながら、その杭を結ぶ線が境界であるとの強い推定が働くものというべきである。
2 これを本件についてみるに、前記認定のとおり、別紙図面のイロ線は、旧二二番二二及び旧二二番二四の各土地上の各建物と二二番二八の土地上の建物との丁度中間付近の線であり、また、旧二二番二三及び旧二二番二七の各土地所有者の所有するブロック塀の南端線である。したがって、イロ線は、被告ら所有の二二番二八の土地とその北側の旧二二番二二、旧二二番二七、旧二二番二三、旧二二番二四の各土地との使用占有の境をおおむね成していたと認めることができる。そして更に、このイロ線や関係者間で争いのない他の境界を前提とした場合の右各土地の実測面積もそれぞれ登記簿上の地積にほぼ符合し、相互に不公平は生じないから、これらの諸点を併せるならば、別紙図面のイ点付近のコンクリート杭及び同図面のロ点のコンクリート杭は、いずれも隣接する各土地の境界を明示するための境界標として、本件境界一の創設当時の境界の位置に的確に埋設されたものと推認するのが相当である。よって、本件境界一は別紙図面のイロ線であると確定するのが相当である。
次に、二二番二六の土地と二二番二八の土地との境界についてみるに、ハ点のコンクリート杭の状況及び二二番二〇の土地との境界付近のコンクリートブロック塀の存在からして、別紙図面ハ点は、二二番二六及び二二番二八の各土地とその南側の二二番二〇の土地との境界線上の点であると認めるのが相当である。別紙図面のロハ線付近には、三田雅子ら所有のトタン塀があった(ただし、厳密にいうと、このトタン塀の位置はロハ線よりもやや東側であった。)から、三田雅子らと被告らとの使用占有の境はおおむねこのトタン塀であったということができる。ところで、前記認定の事実によれば、別紙図面のロ点の杭及びニ点の杭は、旧二二番二二の土地と二二番二一及び二二番二六の各土地との間の使用占有状態に符合する地点で、かつ、右各土地の所有者の間では右各土地の境界点であることは争いがないものであった。また、右ロ点、ニ点は、公図の記載ともよく符合する。更には、ロ、ハ、ニ点とその他の境界確認の結果や現状とを前提にした実測面積をみると、二二番二一、二二番二六、二二番二八の各土地の実測面積はその登記簿上の地積によく符合し、各土地間に不公平な点は見られない。これらの諸点を併せるならば、別紙図面のロ点及びハ点の各杭は、本件境界二が創設された際の二二番二六の土地と二二番二八の土地との境界線の北端点及び南端点を明示する境界標として、その位置に的確に埋設されたものと推認するのが相当である。よって、本件境界二は、別紙図面のロハ線であると確定するのが相当である。
3 そこで、被告らの主張について検討する。
(一) 被告らは、かつて被告らの父高橋義臣が二二番二八の土地内の北側部分に幅約一メートルの「通路」を設けていたが、旧二二番二四の土地上にビルが建築された時に被告らの了承なく右通路が狭められたと主張している。そして、乙二(被告高橋美和子の上申書)、三(被告高橋禮子の陳述書)中には右主張に沿う部分がある。
しかし、二二番二八の土地の北側に隣接する土地の利用状況に照らせば、そのような通路があったとは考えにくいし、狭隘で価値の高い土地上に建物が密集している状況下で、被告らが主張するような旧二二番二四の土地所有者による越境ないし所有権侵奪行為があったとすれば、被告ら側と紛争等が発生する可能性が高いと考えられるが、本件証拠中にそのような事実をうかがわせるものはない。また、被告らの主張を前提にすると、別紙図面のイロ線までブロック塀を設置した旧二二番二三、旧二二番二七の土地所有者の行為は更に重大な所有権侵奪行為であるといえるが、これにより被告ら側と紛争等が発生した事実をうかがわせる証拠もない。
また、そのような通路があったとすればこれを利用する可能性のある土地は、二二番二一(二二番二六)、旧二二番二二、旧二二番二七、旧二二番二三、旧二二番二四、二二番二八の各土地であるが、これらの土地はいずれも公道に接しているから、狭隘で価値の高い土地上に建物が密集するこの位置に、被告ら側において自らの所有地を一メートルもの幅で通路に確保しなければならないような合理的な理由は見出し難いといわざるを得ない(被告らも、自らの所有地内に通路を開設した理由を何ら主張していない。)。更に、二二番二八の土地上の被告ら居住建物の北端から約一メートルの幅の土地が右二二番二八の土地の一部であるとすると、二二番二八の土地の実際の面積は登記簿上の地積をかなり上回る反面、その北側の旧二二番二四、旧二二番二三、旧二二番二七、旧二二番二二の各土地の実際の面積はすべて登記簿上の地積を下回ることになり、このような不均衡を説明できる合理的な事情は本件証拠上見あたらない。
これらの諸点を併せると、被告らの主張するような通路がかつて存在していたものと認めることはできない。よって、乙二、三中の被告らの主張に沿う部分は採用できず、被告らの右主張は採用することができない。
(二) また被告らは、ロ点とは別の位置に木製の杭が埋設されていたと主張する。右主張は、右木製の杭はロ点の杭よりも更に北東側にあったという趣旨のものではないかと思われる(もっとも、被告高橋禮子は、乙三の陳述書九頁において、三田から指示された木杭は別紙図面のロ点であったと述べており、木杭に関する被告らの主張、立証は全体として趣旨がはっきりしない。)。
しかし、ロ点の杭の位置は、この周辺の土地の利用状況、関係土地所有者の認識、これを前提とした実測面積と登記簿上の地積との関係、公図の記載との符合の程度等の事情から考えて、東西方向との関係でも、南北方向との関係でも、境界標として極めて合理的な位置に存在するものと評価することができ、被告らがいうような位置に適切な境界標として機能する木製の杭が設置されていたとは考えられない。被告らの主張する事実を認めるべき的確な証拠はなく、被告らの主張は採用できない。
(三) 更に、被告らは、平成九年ころ旧二二番二二の土地上の建物が取り壊された時に、ロ点とは別の位置に境界標に使用される鋲とおぼしきものが発見されたと主張する。右主張は、当該鋲はロ点よりも北東側に発見されたとの趣旨であると解され、乙三中には右主張に沿う部分がある。
しかし、この付近の土地の利用状況、関係土地所有者の認識、各土地の実測面積と登記簿上の地積との関係、公図の記載との符合の程度等の事情から考えて、境界標としての鋲が被告らの主張するような位置に設置されていたとは考えられない。乙三は採用できず、他に右事実を的確に認めるに足りる証拠はない。被告らの右主張は理由がない。
第四結論
以上の次第で、本件境界一を別紙図面のイロ線と、本件境界二を別紙図面のロハ線とそれぞれ確定することとして、主文のとおり判決する。
(裁判官 岩田好二)
(別紙1) 物件目録
一 所在 千代田区三番町
地番 二二番二二
地目 宅地
地積 一一四・二四平方メートル
二 所在 千代田区三番町
地番 二二番二六
地目 宅地
地積 三三・〇五平方メートル
三 所在 千代田区三番町
地番 二二番二八
地目 宅地
地積 七七・五二平方メートル
以上
別紙二~四<省略>